葦木啓夏(あしき・ひろか)です。
さて、本日、3月26日(土)。
『
正名は 生命の 清明なる 声明なり。』
との言葉のとおり
自分の人生を立て、より人や社会のお役に
たちたいとの願いをのせて、撰名(改名)しました!
葦木啓夏(あしき・ひろか)といいます。
みなさま、改めましてお見知りおきのほどを
この名前は、仏道の指導者だった私の曾祖父ともご縁のある、岐阜県大垣・宝光寺のご住職・釋 潮叡(しゃく ちょうえい)さんが付けて下さいました。
自分がどうなっていきたいのか、どんな覚悟でこの先の未来を生きていきたいのかを語り、どんな名前になるかは完全にお任せした撰名です。
釋さん曰く、難産だったそうですが、新しく授けられたこの名前に込められた意味は深く
葦木啓夏とは、神仏の働きを自らひらき見出し、言葉と振る舞い清々しく和合して、巧みに用いてひろく披露し、産を重ねて万人の朋となる生成発展の声明なり。
迷いはすでにもたらされている幸いに気づかず、道筋を示す道しるべを知らず、目の前の結果に困惑する。迷いに損得が加勢して惑いとなり、道を失って悩みとなる。
道しるべを得、道筋を知り、損得を超え、恩を知り、明るく謙虚にして、人生の手本を得ば大業をなる吉名なり。
だそうです。
特に、迷いはすでに…からの下りは、とても響くものがありました。
私はどうしても外ばかりに目が行き、自分と何かを比較して、これを持ってないから不幸。あれが欲しいのに出来ないから無能だ。などなど、無駄な事ばかりに気持ちを巡らせて落胆することも多かったのですが、それは「思にふける」無意味なことだと教えていただきました。
すでに与えられているご先祖や親から頂いたこの身体、手足、頭、足、声、歌、人とのご縁、つながり。あらゆるものに感謝して、諸先輩からさらに学ばせてもらい、自分の持てるものを大切に相手に手渡していける人間に成長していきたいです。
歌も、言葉も、声も。
人を傷つけるために使うものではない。
人とつながっていくために人類の中に
存在しているものですものね。
清々しい毎日を、自分を立てていきます。
「葦木啓夏(あしき・ひろか)」のホームページ。
お引っ越ししました。
新しいサイトはこちら!
↓↓↓↓↓
http://hiroka-ashiki.space/
どうぞこれからも、変わらぬご愛顧
よろしくおねがいいたします。
葦木啓夏(あしき・ひろか)
関連記事